議席数に応じた中元すず香

 断念の美学/未来を捨てた数だけ人は輝く

家元じゃねぇし中元だし

あー。芸風なんだね、そのパッツンぱっつんな感じは。でもその「いっぱいいっぱい」に、最近はちょびっと照れくさい自意識がからんどらん? 余裕があるんだかないんだかどっちなんだい。家元はまだ芸風に迷いがあるんか。

なんかさぁ、さいきん家元を見てると、岩崎宏美を思い出すんだよね。あの人も天才的って言われて、たしかにそうだったし、今でも立派な歌手なんだけど、ものすごく真面目な人だったのよ。これじゃいけない、このまんまじゃだめだっていつも思ってて、今の自分じゃイヤだ、もっともっと上手くならなきゃって考えてたフシがある。

そんで自分の歌に自分であれこれ手を加え始めるわけ。天才の自意識って、うまくいく場合といかない場合があって、それは大所高所からの自己プロデュースができるかどうかってことなんだろうけど、それが下手だと、自分の美点を結果的に壊したりする。まあ世の中のほとんどの歌謡曲ファンはデビュー時よりもそのあとの岩崎宏美のほうがいいって言うだろうから、そのへんは私一人の趣味の問題でもあるんだけど、私にとってはデビュー曲の「二重唱(デュエット)」が最高の天才の技で、2番目が次の「ロマンス」なわけさ。

こういう真面目に向上心が強いタイプの天才って、自分でなんとかしようと意識し始めると、悲しいことに限りなく「フツー」に近づいてくんだ。それは本人が自分の天才性がどこにあったのか気づいてないってことでもあるし、なまじっか性格が謙虚だから、何か基準を外に求めて、あくまでも "その基準で" 高いところに行こうと考えるからではないでしょうか。最初よりも後のほうが「進歩」した姿なんだからイイに決まってるっていう常識にも助けられて、誰にもできなかった歌い方が、工夫すれば誰でもできる「ああ上手いね」って思われる歌い方に変わっていく。でもそれはもう、こっちの既成概念を夢の超特急みたいにブッ壊したようなものではなくなってるんだ。

 

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とかなんとか、ゲージュツ至上主義で天才信者のりすぼん君は言ってるが、そんなのは、人を勝手に天才よばわりして「そこから動くな」って壁に画鋲でハリツケにしてるだけだ。美女を氷詰めにして部屋に飾るみたいな、乱歩まがいのヘンタイだ。芸能や演芸の "天才" なんてのは妄想だよ。それを変態りすぼん君に教えてくれたのがすず香先輩ではないか。

悩み苦しんで、腰からいろんなものをぶら下げて、それでも水の中を歩くみたいに必死になって演じている人間・中元すず香に、りすぼん君は心を打たれたのだ。天才は最初っから天才なんだから動かずにじっとしてろとかいうのが既成概念なんであって、そいつを夢の超特急すず香先輩がブッ壊してくれたのだ。過去のある時点を懐かしんで、それ以降の変化を堕落だと決めつけるのは、人を人とも思わない、おぞましい暴力行為ではないか。

本当はすず香先輩の今の姿を眺めてるだけで100%シアワセなのに、なんやかんや言ってかまってみたいだけなんだこのヘンタイは。好きでたまらんくせに。ときどき忘れる。

そのまんまどこまでも行ってください。

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