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べびーめたる趣味

普段使いのBABYMETAL

一回くらいは中元信者らしいことを言ってみる

中元すず香は、音楽業界・歌手業界の中を一人で昇っていく歌手ではない。能力が足りないのか。そんなことはない。決して「鑑賞」される立場には立たない歌い手だからだ。私たちが立っているこの地平から、自分だけ浮かび上がるという志向がプログラミングされていないのだ。ステージに立って鑑賞される立場に立てない、仰ぎ見られる対象として自立できないというのは、職業歌手としてはダメダメなのかもしれない。しかしパブリックな声とパーソナリティーで勝負する、職業歌手の役割を果たせる人間は他にいくらでもいる。中元すず香が「等身大の固まりで来る」というのは、前頭葉の先っぽだけで "歌唱技術を駆使して" 歌うようなことはしないで、醜い部分もブザマな部分も切り捨てることをしないで、1回の歯磨きでチューブ1本を使い切っちゃうみたいな過剰な全出し感でもって、頭のテッペンから足の裏までを隈なく使って歌うということだ。そしてその足の裏から私たちの悩みや苦しみを吸い上げて、どういう仕組みになってるのかはわからないが、体内のミクロフィルターで浄化して、どこぞの天上世界まで持っていってくれる。そんなことを頼んだ覚えはないが、やってもらって初めてわかる気持ちよさというものもある。だからゴルゴタの丘を登るSU-METALの腰には中元すず香の人生の荷物だけがぶら下がっているのかと思いきや、我ら有象無象のヤカラが藁をもつかむ思いで突き出した手が、そこのヒラヒラを引っ掴んでいたりもするのである。職業歌手とは違うかもしれないが、本当はそのような存在だけが「芸術」と呼ばれる営みの効用を発揮できるのではないだろうか。とことんキレイごとだらけのBABYMETALの世界で、中元すず香の声には郷愁もあれば見たくもない過去の恥部もあり、慰撫もあれば暗い怨念もある。なんでもある。美しさと醜さ、大っ嫌いと大好きが同時に来る*1。見せちゃマズイ、聞かせちゃマズイものはないらしい。SU-METALと中元すず香の「ギャップ」を語ることは侮辱以外の何物でもない。SU-METALは決して人間・中元すず香を置き去りにすることはないし、なにか人間が宇宙のゴミであることを忘れて「歌神」になるようなことは微塵も志向されていない。だからSU-METAL=中元すず香の声は私たち自身の声である。私たちが泥田に落ちて身動きがとれないときは、SU-METALの足も泥にまみれている。私たちの苦しみは中元すず香の声に映し出され、中元すず香の痛みは私たちの皮膚に現れる。それに気づいたときに、中元すず香はあなただけの歌い手になっている。あなたの皮膚よりも近いところにいる。それだけ近ければ、ウザったさも百倍であろう。私はそれなりに長い人生の中で、ここまでウザったくて気恥ずかしくて、底無しに優しい歌声を聴いたことがない。ウザったくて気恥ずかしいのは、過去の無様を含めた自分の姿を鏡で見せつけられるからである。小賢しく生きるために捨ててきたものが一斉によみがえるからである。底無しに優しいのは、そういう過去や現在をとがめたり、カラ元気を注入したりする邪念がなく、ただ人間性を丸出しにすることで、私たちを人として許す声だからである。「力うどん」に無謀なチカラで練り込まれていたのは慈愛であり、愛にはコシの強さも必要なのだ。そこからにじみ出る声はすでに歌声ですらなく、人を人たらしめる言葉そのものである。その言葉にもはや音楽は必須ではない。もうメタルなんかに新鮮な驚きはないし、バリライトを駆使したところで、そんなコケオドシに騙されるほどナイーブではない。人間が本当に苦しいときに、音楽がクソの役にも立たないことも経験済みだ。娘っ子がヒラヒラ舞い踊ったって、心なんか動くもんか。私がヘッドホンをかぶるのは、ただあなたのその声を聞くためでしかない。

固まりで来るってこんな感じですかね。

 

 

 

...こんなヒトデナシな曲を作るほうも作るほうですが、それを形にしてしまったSU-METALが私は信じられません。

批評するスタンスもされるスタンスもとらず、自分一人で燃え尽きるまで発光し続ける。

 

ところで、このブログでもいろんな写真を貼り付けているが、見返してみたら、普通は真っ先に貼るであろうBABYMETALのステージ写真というものがほとんどないことに気づいた。それはつまり、「これは手元に置いておこう」って思うような写真がなかったってことで、実はライブアクトというか、BABYMETALのビジュアルがあんまりいいもんだとは思ってない証拠なのではないかと疑われる。いったいBABYMETALのどこに目が行ってるのか完全にわからなくなっている。

 

中元すず香が聴きたくなると戻るところ。
「成長」なんていうのは凡人がするもんだとは思わんかね。
今よりもよっぽど表現が成熟してるではないか。フレージングの機微に対する配慮が行き届いている。BABYMETALのボーカリストはこうでなきゃいけない。ワールドツアーをやるようになってから、こういう舌を巻くような上手さがあんまりなくなった。しかもここではサウンド全体がガッツリとタイトでヘビーである。スポーティーでまっすぐで毒にも薬にもならない今とは段違いだ。おれは「世界」なんかどうでもいい。この Heaviness と後ろめたさといかがわしさがあればそれでいい。

 

こうなったらアニメも貼っ付けとく。
これと、あとはウェンブリーのイジメダメがあれば、日常の用は足りるとしたもんだ。

 

 

中身がひと目でわかる
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こういう、ユーモアの含有率が高いのに文章がカッチリしてて気持ちがいい読み物が
BABYMETAL周辺ではあんまりなかった。
たとえ休止されたままでも、今までの分で十分面白い。
自分と意見が同じでも違っててもそんなことはどっちでもよくて、
ちゃんと自分の基準で言葉が選択されてて
一文ごとに「念」を込めて工夫された文章は、
字面をぱっと見ただけで密度が違う気がする。

 

*1:このアンビバレンスの原因は、中元すず香には「恥じらい」はあっても「照れ」がないところにある。恥じらいは純粋な感情で、照れとは瞬時の自己批判に由来するためらいであり、自分の心底が見透かされることに対する恐れである。恥じらいのある美しさと、照れのない傲慢さがいっぺんにくるから、ちょっと暑苦しい。しかもドームの「うぃーあー」みたいにダシヌケに調子ぶっこくことがあって、そんなときには握りしめた拳がワナワナと震えるのである。

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