カワイイネス

 純度100%菊地最愛推しだったころから、ライブ映像のSU-METALに釘付けだったことは前にも書いた。それは非常に腹立たしいことであって、半分以上は怨みのこもった視線でもあったわけだが、暴虐な生き人形が手足をブンブン振り回すのはやはりある種の "見もの" だったのである。

 さくら学院中元すず香は、集団でダンスをやると一人だけ動きが乱暴なのですぐに所在がわかるのだが、ああいうタガが外れたみたいな肢体の動きは、西洋人の成長期の子供にはよく見られる。急に伸び始めた四肢をもてあまして置き場所に困るから、やたらに振り回してしまう。安定感がないから見ていて危なっかしいし、なんだかグニャグニャしてるし、よくTPOを考えないと怪我人が出そうである。

 中元さんの面白いところは、その危なっかしさを成長期が終わった今になっても保持していることであろう。

 横で踊っている菊地さんと水野さんは、もう14歳くらいのころから子供の動きではなくなっていた。体のサイズは小さいが、動きだけはさっさと成人してしまった。たしかに菊地さんは当初よちよち歩きみたいなところもあったが、ある時期を境にきっちりと成熟した体捌きをするようになっている。それ以降は、二人ともまったくスキのない、イヤミなくらいよくできたダンサーである。

 いっぽう中元さんは、なにか昨日歩くことを覚えた小児みたいな動きをする。四肢の接合がユルイ感じだ。腕を顔の前で交叉させるBABYMETALお得意のポーズがあるが、たとえばイジメダメゼッタイの出だしでわんつーすりーふぉー「どん」で決めるにしても、なにかがおかしい。なにかがフニャっとしている。一番気合が入る決めどころなのに、そのあと右腕左腕の順にパンチをかますところも、菊地・水野両名が同じことをやったら、ゼッタイあんなふうにはならんだろう*1。だいじょうぶかクイーンオブメタル。ただの「ちっちゃい子」なのかキミは。

 しかし中元すず香がメタルクイーンを名乗ったことはない。中元すず香はBABYMETALである。「べびー」なのである。すでに見た目でも3人の歳の差はわかりにくくなってるが、じきに中元さん一人がみそっカスみたいな雰囲気になるんだろう。男前のSU-METALと「カワイイ担当」のYUI/MOAという図式は、最初っからウソなんである。2人の女丈夫に挟まれて、中元すず香が「ベビー」を一人で体現してきたからBABYMETALなんである*2*3。だから私は「BABYMETAL=中元すず香」だと定義するわけだし、天敵中元すず香が跳梁跋扈する映像を飽きもせずに何十回も見ていられたのも、あっちでフニャフニャこっちでグニャグニャしている中元さんが可愛くてしかたなかったからであろう。身も蓋もない話である。

 

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 そういえば中元さんは何かに似てると思ってたが、レインボー戦隊ロビンのリリな。形が。それから本気出すと暴虐的なところとか。

 中元さんの存在とは、まずは「形」である。BABYMETALに形を与えた役割が大きい。これだけ明確な「形」を持った日本人というのは、ちょんまげのおサムライ以来であろう。シルエットを映しただけでBABYMETALだとわかる、強烈な形を持った日本人は他におらん。

 そしてBABYMETALとは何かと一言でいえば、それは「中元すず香の腕」なのだとおれは考える。この2本の腕があって初めて、BABYMETALはBABYMETALになり、生きて動き出すのである。

 

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 私にとって最後の音楽はCarlos Paredesのポルトガルギターである。このギターにはフラメンコの熱情もタンゴの頽廃も含めてあらゆる音楽のエッセンスがあって、これがあればセゴビアを聴く必要もないし、パーカーもバド・パウエルもエリントンもなしで生きていけるし、バッハもメタルも一手に引き受けてくれるのだ。
 ポルトガルとはかくも深い精神性を持った国である。BABYMETALにはぜひリスボン(里斯本)をワールドツアーに加えてほしい。リスボンいいぞ中元さん。おれは絶対リスボンで死ぬぞ。

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この3月は、アルバム "BABYMETAL" が最新作でいられる最後の月になる。
日付が4月に替われば、その状況は二度と戻ってこないわけである。
この唯一の作品をバカみたいに聴き続けられるのは今しかない。
先のことをあれこれ考えるのは、"BABYMETAL" が「ひとつ前のアルバム」になってからでいい。

 

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メタルのペースにハマってはいかんのである。

おれは「BABYMETALのペース」にもハマらないように注意している。「むこう」が提示してくるコンセプトやら、ツアーに対する姿勢やら気合やら、いったい何と闘ってるのかは知らんが、そういうのはちっとも面白くないからだ。"愛情" が欠けているのかもしれんが、ただ相手のペースに寄り添うのが愛情なら、たしかにそんなものは持っていない。寄り添う前に違和感を投げつけないと納得できない。その後で初めて、なにがしかの愛情なり理解なりが生まれてくる。おれにとってはそれが「対話」なのだ。それを指して「理解が遅い」とか愚鈍とか、共感力の欠如とか、素直じゃないとか、単にアタマが悪いとかいうんだろうが、だから当然、他の人やBABYMETALファンから見たらちっとも面白くないことしか書けないわけである。

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 いろいろ言われてますな。

 私の印象では、"NO RAIN, NO RAINBOW" は「そこそこの曲にまあまあなボーカル」という感じです。歌手・中元すず香の弱い部分がしっかり表れちゃってる気がします。

 でもわざわざセカンドにぶち込んできたんだから、ただで終わるわけはないでしょう。劇的にカッコいいアレンジと、進化した「いま」の中元さんの歌が聞けるに違いありません。ハンパなものを出してくるわけがないし、そういう意味で一番期待してます。またボロボロ泣くようなやつをお願いします。*4

 とか適当なことを言うのはやめましょう。脊髄反射みたいなことを言ってると、神経が立枯れします。こういうのを「公式見解」という。公式見解だけで生きてると、心が死にます。

 実はNRNRにも中元すず香の聴きどころはあちこちにあるのですが、いまオイラは風邪ひいて熱だして肺炎になりかけてるので、気が向いたらまた考えることにします。そんなもんいらんというなら、めんどくさいのでこれっきりです。

ただ綺麗に歌えるだけじゃだめで、肩にはいろんなものをしょいこんで、腰にもいろんなもんをぶら下げて、それでもゴルゴタの丘に登っていかなければならない。その姿をそのまま見せられる魂の強さが必要なのだが、どうも中元すず香はそのテストにパスしたようである。 

歌手としての中元さんの一番の特徴は、なんと言っても音符のアタマと発声のアタマが寸分たがわず揃ってることですね。普通はもっと揺れがあるし、その揺れによって何らかの色をつけたりする。中元さんにはそれがない。みんなが4分音符や8分音符の幅でとらえているタイミングを、32分や64分ぐらいの "線" で刻んでくる。目盛りが細かくて的を外さない。その精密な目盛りで、一音一音の "音価" を正確に再現しちゃう。音価と言うからには、アタマだけじゃなくて音の終わりが重要になりますが、中元さんはそれもコンマ1ミリの単位でいちいちキッチリ意識している。過剰でやり過ぎですが、歌詞がキレイに聞こえるように感じるのはその精度のおかげでしょう。それがないと、ギミチョコやあわだまみたいな曲はマトモな歌に聞こえない。でもなかなかできない芸当だから、町工場の「長年の職人さん」目当てに海外企業が買い付けに来るみたいなことが起きてるわけですね。自分で歌ってみれば誰でもわかることですが、ギミチョコとあわだまの2曲を違和感なく人に聴かせることがどれだけむずかしいか。まずは一つひとつの音価を正確に再現するという大きなハードルをクリアしなければならない。その上で何らかのニュアンスや、曖昧な可愛らしさも加味しなければ面白くならない。こんなヒトデナシな曲を作るほうも作るほうですが、それを形にしてしまったSU-METALが私は信じられません。普通の人間がやるとしたら、厳しい訓練で精密機械のような正確性を身につけて、絶対的な音感とリズム感を確立して、強靭な腹筋を作り上げて、万全の体調で臨まなければならない。気が遠くなりますが、そういう点について中元さんは異常な技量を持っています。その技量を観音さまみたいな、あるいは猫のソマリみたいな優しい声で(観音さまの声は聞いたことがないが)顕現させる。精確でパキパキとしたCrispnessと人の心を慰めるTendernessの両方を、片っぽずつではなく両手で同時に押し出すことができる。それはサクサクとしたコーンフレークにあっためた練乳をぶっかけるようなもので、んなもんクソまずいに決まってるのに、どんどん口に入ってしまう。そんなことができる歌手が世の中にどれだけいるでしょう。しかしここまで「タテの線」が揃ってると、たとえば紅月の出だしを崩して歌っても、"崩して書いた楽譜" を寸分たがわず正確に再現してるみたいに聞こえてしまう。実際そうであるわけで(Unfinished Version)、そこはかなり萎える部分ではありますが、まあ面白い人であることには変わりありません。正確にはヘンな人です。私はこういうヘンな人が好きです。

 

 今はそうですね、毎朝呼ばれもしないのに家の前まで出向いていって、「なぁ~かもぉとさぁぁ~ん!」とか叫んでる感じです。ついこないだまで上履き隠したり筆箱にダンゴ虫を入れたり「どんくせーなおまえ」とか言ってたんですけどね。急になついた。
 そのあいだに中元さんは勝手口から脱出してますね。

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恋情・恋慕・恋着・徒情け 

 

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これ見て、あっ「オースティン・パワーズ  ゴールドメンバー」なのねセカンドだけにって思いました。

てきとーなこと言ってんな。

 

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フラメンコ × メタルの "Flametal" の路線って、ビジュアル的にもBABYMETALに向いてると思うんだけど、そういうのはダメなんですか。
もちろん中元さんのソロで。

 

ボサノバ × メタルの "Huaska" *5の路線って、ビジュアル的にもBABYMETALに向いてると思うんだけど、そういうのはダメなんですか。
ああもちろん中元さん単体で。

"Chega de Saudade" は
本家アントニオ・カルロス・ジョビンの表現と比べてみてくれたまへ(下にあるよ)

 

端唄 × メタルの路線って、ビジュアル的にもBABYMETALに向いてると思うんだけど、...... そういうのは「メギツネ」でやりましたね。

 

 

*1:

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あとあれな、左右のゆいもあ目がけて斜めに両腕を突き出すポーズな。あれ死ぬほど可愛いな。顔が真剣なだけに。頭が牡牛で体がレッサーパンダミノタウロスみたいだが、動物がカワイイのも本人が大真面目だからである。

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*2:BABYMETALというのは何かいわく言いがたい「カタチ」で攻めてくるユニットだとは前から感じていたが、そのカタチは、中元さんがフニャフニャしてて初めて成立するもんなんだと思う。最初の頃はそのフニャフニャの周りを小学生2人がヒラヒラ飛び回るカオスが売りだったんだろうが、その後三角形の底辺が岩のように盤石に成長して、一本気なカタチになった。そういう意味では、BABYMETALには早くも安定感のある退屈さが芽生えているが、反面それはチカラでもあるわけだから、これまでのようにたまに盤石な底辺を外してガス抜きをするくらいでちょうどいいんだろう。まだ底辺をいっぱい外していっぱい暴れる中元さんはリスキーなのかもしれない。でも私はそのフニャフニャ娘が大好きなので、「あかつきだぁー!! ずんたっずんたっずんたっずんたっずんたっずんたっずんたっずんた」のとこみたいなバカ可愛い挙措をもっと見たい気がする。ああいう戦略のない可愛さには対抗手段がない。

*3:日本語が苦手な人に誤解されるおそれは常に考慮しなければならない。バカ可愛いの「バカ」は強意語である。クソ可愛いということだ。「可愛い」がいっぱい言えて満足である。

*4:しかし蓋を開けてみたら、予想を遥かに超える「そこそこの曲にまあまあなボーカル」だった。いったいなんのどの部分を聞かせたかったのか皆目わからんのだが、誰かレクチャーしてくれんか。(2016.7.16)

*5:しかしボサノバもサンバもメタルも好きなおれが、なぜか Huaska はアルバムを一気に通して聴くことができない。なにかしら強烈な違和感か退屈がある気がする。
一方で本家のこっちは何百回聴いても飽きないのはなぜか。

ついでにジョアン・ジルベルトのも

音楽的な起伏や場面転換、サービス精神が目に見える形で存在するのはもちろん Huaska のほうである。しかしそもそも、そういう暑苦しいものを音楽の表層から "わざわざ" 引っ込めたのがボサノバだ。音楽的な衝動は水面下で地熱みたいにくすぶらしといたほうが薬効が持続するし、野暮なことをしなくてすむ。Bossa Novaの「新しさ」っていうのは時代的なものじゃなくて普遍的な感覚の新しさだから、それは今でもやっぱり新しい。メタル風味はただそれを未開な状態に引き戻すだけだし、表現のベクトルが正反対だから両方で打ち消し合って、けっきょくなんだか退屈なんである。メタルな部分は、新しいことをやってるようで、その新しさの点で最初っからボサノバに負けてるわけだ。

 


じゃあついでに、昭和35年、つまりボサノバと同時代の
スペース・エイジ・ミュージックをテキトーに聴いてくれたまへ。映画「マタンゴ」を思い出すぞ。

 

 

ああ練習したい

 

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