恥の感覚

 RoRは、妖気がすっぽり抜け落ちた、最初っから最後まで安心して聴けちゃう人畜無害な曲だ。いつまでたってもBABYMETALの曲という気がしない。だってBABYMETALって、どんなにブルータルなゴアグラインドよりも、どんなに暗いブラックメタルよりも恐ろしい、確実に精神を崩壊させる悪魔の音楽だったはずだろ。悪魔は天使の顔で近づいてくるわけだが、じっさいエクストリームメタル以外のメタルは無価値だと思ってたおれが陥落したのは、BABYMETALがエクストリームの上を行くアブナイ音楽だからだ。本当の悪魔は悪魔の顔なんかしてないし、デス声でガナったりガテラルでゴボゴボ言ったりしない。だからBABYMETALを聴くときには必ず解毒剤を用意しておく。それはBABYMETALとは反対に、悪魔の顔をした天使の健全な音楽である。クリプトプシーとか。

クリプトプシーの脳天気なヤル気がウザいときはNorttとか。

 

 いずれにしてもこれまでの動きは、メタルをオモチャとして使い倒す免罪符をもらうための禊だったわけで、あとはもう何やったって世界は許す。セカンドアルバムを含めた来年1年の成功のいかんによっては、....いやな予感がするが、ビートルズの1963年って今みたいな感じだったのかもとは思う。つまり2016年はビートルズの1964年になるということだ。すまんな、話が古くて。人間が古いから。しかしなんといっても歴史上最も成功したバンドだからな。

 思いっきりかいつまんで言えば、1964年にはエド・サリバン・ショーに出演、65年にはSHEA STADIUMでコンサートという流れである。しかし66年の日本武道館の消化試合を経て67年にサージェント・ペッパーを生み出すには、ライブアクトからの完全撤退とLSDが必要だった。

 BABYMETALはパフォーマーであってクリエイターではないとも言えるが、少なくともSU-METALは、クリエイターと同程度の精神エネルギーをつぎ込んでいるはずである。しかしビートルズが芸術性と精神性を深めることができたのは、あくまでもイギリスで作品を作り続けたからだろう。アメリカはムーブメントを作り出すのは得意だが、粘着性と頽廃と歴史のエグみに欠ける。だからジミ・ヘンドリックスやジム・モリソンやブライアン・ウィルソンみたいな天才は、精神に異常をきたすか早死にしてしまう。

 イギリスやヨーロッパをアメリカのための踏み台と考えた時点で、BABYMETALは目標を失って消化試合に突入するだろう。パブリシティーは天井知らずだろうし、マドンナやマイケル・ジャクソンにはなれるかもしれんが。アメリカがポップミュージックの頂点だなどと考えるのは、自虐と皮肉が満載のイギリスの "Do They Know It's Christmas?"(1984) に対抗して、アメリカが薄っぺらいヒューマニズムだけの "We Are The World"(1985) をぶつけた時点で、すでに時代錯誤なんである*1。それなのに最近のBABYMETALは、今さら We Are The World レベルの浅薄なメッセージを打ち出そうとしてるフシがある。"When the world must come together as one"(We Are The World) なんて、今のBABYMETALが言いそうなセリフではないか。それを褒め称える人間がいるからお互い様なんだろうが、We Are The World から 30 年経って、何が解決され、何が「ひとつ」になったというのだ。大事なBABYMETALに同じ轍を踏ませるような真似はさせないほうがいいと思うが、30 年経つと全部リセットされてしまうのか。少しは学習したらどうだ。

 

 ビートルズとおんなじように、BABYMETALという発明品は、じきに発明者のコントロールが利かない局面に入っていく。それを考えたときに頭をよぎるのが、マネージャーのブライアン・エプスタインの死である。Wembleyが客で埋まるのかとか、セカンドアルバムはどうなるのかとか、そんな次元の心配は鼻クソみたいなものだ。いずれBABYMETALのタフネスと頭のキャパがイヤというほど試されるときが来る。それは冗談でなく厳しいはずなので、それを思うと、適当なところでBABYMETALの息の根を止めちゃったほうがマシなんじゃないかとすら考える。SF的な寒気を感じるぞ。ファンにしたって、世界征服だなんて呑気なことを言ってるうちがハナだ。そのうち痛々しさに耐え切れなくなったときにどういう態度をとるのか、腹だけは括っておいたほうがいいです。*2

 

 

 

*1:Do They Know It's Christmas? には「恥の感覚」があった。おれもお前もぬくぬくとクリスマスなんかを祝っているが、"The greatest gift they'll get this year is life"(一番のプレゼントは今年も死ななかったこと/今年死ななければそれが一番のプレゼント)っていう現実もあるんだと。そして「それはあっちの出来事で、おまえらの現実じゃなくてよかったな(Well tonight thank God it's them instead of you)」とまで言っている。"The greatest gift they'll get this year is life" を「今年は私たちが命のプレゼントをあげよう」みたいに解釈してる例もあったが、前後の文脈から考えてそれは明らかに違う(「命をプレゼントする」とか言うほうがよっぽど傲慢だし)。この文脈では、施しをする側の意思は混ざっていない。ただ「アフリカの現実」を描写してるだけである。

*2:一度削除した複数の記事をくっつけたもんだから話があっちこっちだが、どうせ誰も読んでやしないから気にしないことにする。

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