議席数に応じた中元すず香

 断念の美学/未来を捨てた数だけ人は輝く

縮小コピー

むかし吉田栄作がビルの屋上に立って、眼下を歩く群衆を見つめながら、「オレはこんなちっぽけな人間では終わらない」って志を立てたっつう逸話があって、「それは縮尺の問題だろ」ってツッコむお約束だった。その系統の継承者が押尾学センセイだったんだが、二人の運命は大きく分かれて、吉田栄作は味のある本当にいい俳優になった。誰も予想だにしなかったことである。ちなみに私はZepp東京押尾学のライブを観に行ったことがあって、「オレがなんで今日ここに来たかわかるか。お前ら全員ブッ殺すためだ」っていう非常にありがたいというか、今だったらスマホで即通報だと思いますけど、そんな言葉を頂戴しましたし、まだ何も発覚していなかったヤダアキコさんからスタンド花が届いていて、怪しいと思ったのも思い出です。最後には「気をつけて帰ってね~」とか言って押尾センセイも軸はブレブレでしたが。

単に「縮尺」の話をしたかっただけです。

ある程度近くで目撃すると、中元すず香さんって、「ちっさ」って誰もが思います。思いますよね。それなりに "たっぱ" はあるはずなのですが、それでも「ちっさー」って思う。両脇にいるもっと小さい二人については、そんなに小さいとは思わない。日本人的な普通の小ささだからですね。

中元名人の場合は縮尺が違う。ステージの映像はだまし絵みたいなもので、あのような比率の寸法の人間はこれくらいの大きさだろうっていう予測が完全に裏切られる。普通の人間が演じているドラマを観てると思ってたら、突然カメラが引いて、それがショーウィンドウに飾られた人形の家の話だったみたいな感じです。

平体(ひらたい)と長体(ちょうたい)が同時にかかった、人間の縮小コピーみたいだからビックリする。でも「ああなるほどね」っていう部分もあって、それは聴いていた音楽の印象とはぴったり合致するからです。中元すず香の声は "作り" が小さい。いやデカイでしょ、メタルの爆音にも負けない、強くてよく通る声でしょって、それはそうなんだけど、そしてそこが不思議なとこなんだけど、ライブを含めていろんな音源をただ音として、サックスを聴くみたいに集中して聴いていると、輪郭がよく見えてきて、それがすごく小さい器から出ている音なんだってことがわかってくる。非常に狭い、限定されたスペースの中で声が反響しているのです。あの独特の、どっか甘くて煮え切らない、生ぬるい声質というか、指向性だけは強いのに角が丸い音は、そういう仕組みでできてるのかとか思う。メタルに負けないとか声量がどうとか言う人も、たとえばゴスペル系を売りにしてる歌手みたいな太くて強い声とは根本的に違うことはわかってるわけです。

そしてあらためてスタジオ版のあかつきなんかをじーっと聴いてみると、すず香先輩の正確な寸法が、はっきりと物理的な形として見えてくる。こりゃ確かにちいせぇやってわかる。「真ん中の人形みたいな子」は本当に人形みたいで、そんな人が笑ったり喋ったりします。しかもその中にかなりキツキツに人間・中元すず香というヘビーなものが詰まっているのですから、気になってしかたがありません。

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